理想と現実
最近話題の某先輩グループに関するブログを読んだ。
「変わってしまった嵐」についての記事と、それに対して「モヤっとボールを投げつける」というアンサーソングならぬアンサーブログ記事。後者の記事はもう現時点では消されてしまったみたいだけど、残念デシタ。一度この世に放たれたものはどこかできちんと残っているんですよ。
私は何事も後回しにするクセがあるので、昨日お風呂に入る前に
嵐先輩の記事に対するアンサーブログがあったらしいのだけれどその記事が見つからないどこどこ?読みたい
— りり (@Lnln_jnyt) 2016年12月30日
といったもののすぐに記事を見つけ、お風呂入りたいしいいや後回し、と、iPhoneの超お役立ち機能iBooksに保存機能を活かして保存。お風呂から出てきたら記事は消えていたけど私のiPhoneには残っていたとさ、という私の後回し癖が功を奏した感じですが。お布団に入ってふむふむと読んでいました。
ん~~~なんていうか。
まあどちらも読んでいて気持ちの良いものではないよね。
私は嵐先輩の曲やパフォーマンス、バラエティ番組をお茶の間で楽しむレベルでしか好きではないようなオタクだが、最近の嵐さんに対してはちょっとなぁと思うことも多々あった。国民的アイドルと呼ばれるまでにのぼりつめ、仕事が忙しい、自分たちが思うように周りは見てくれないという葛藤もあっただろうに。
きっと嵐5人の思い描く理想と現実と、ファンが求めるものの3つの重なり合う部分が減ってしまったんだろうねぇ、いや知らないけど(無責任)。
国民的アイドルグループと呼ばれ、ゴールデンタイムのバラエティー番組もレギュラーで持って、大型音楽番組の司会や大トリを務める中で、国民の目に触れる機会は格段に増え、オタク受けするようなことばかりやっていては“国民的”の地位に立ち続けることは難しかったんだろうねぇ。
国民的アイドルグループといわれるまでは本人たちがただやりたいことをやって、オタクにウケて、お互いwin-winだったのが、オタクの前だけでなく国民の前にも立たなければいけなくなって、当然オタクよりは国民のほうが圧倒的に数も影響も大きいだろうから、オタクと国民の異なる需要に対しても、国民に響くように活動していくだろうし。
オタクは取り残されて、嵐は手の届かない遠くまで行ってしまって、ふと気づいた今、いろいろネガティブな声が聞こえてくるって感じだったのかもねぇ。
ジャニヲタが向く先には自担、つまりジャニーズ事務所のタレントしかいないけれど、
ジャニーズ事務所のタレントが向く先にはジャニヲタだけじゃなくて、国民というその他大勢がいるもので。
理想の関係性はこうだけど。
オタクもオタクでいろいろいるし、大人数の前に立つって大変なことだよね。
2016年の現場まとめの記事でブログ書き納めと思ったけど、ついつい書いてしまいました。
この勢いでジャニスタの記事も書き終えたい!!!今年の仕事は今年のうちに片付けたい。